コロナ禍は日本ではいったん落ち着いた様子。10月後半からは、大学のキャンパスに課外活動の学生が戻ってきました。昨日、ギターカルテットの練習に行ったら、電車やバスには部活の中高生がたくさん乗っていました。みんなマスクはしていますが、手を握ったり肩を突っついたり、対面ならではのリアルな手触りを楽しんでいるようでした。
高1の息子は中2の年度末にコロナ禍が始まり、中3の新学期は6月まで登校できませんでした。その年は、修学旅行をはじめ、楽しみにしていた行事がいくつも吹っ飛びました。これから、残りの高校生活を、手触りのあるものとして満喫してほしいです。指先の感覚で生卵を立てることから、三点倒立につなげる、ユニークな体育の授業をする学校に通っています。
職住接近なので、ほぼ2年間、国立からあまり出ない生活です。近所にもいいものがたくさんありますが、そろそろフランスに行きたいものです。人々の暮らしをこの目で見ないと、細部に血の通った研究はできないと思っています。(N)
みなさん、学生時代から大切に保管してある本はありますか?その本を手に取った時に、どんな思い出が蘇るでしょうか。
私は育児をしながら大学院に通っていた頃のことを思い出します。育児中の最高の贅沢!?は、本をゆっくりと読むことでした。保育園に通い出した子どもが病気がちで大学に通えないことが多く、在宅で看護をしながら本を読んでいました。
看護中は片手で読めるくらいの厚さ本は読みやすいのですが、専門書はとても厚いものが多いですね。中でも伊藤邦夫先生の教科書は片手だと腱鞘炎になりそうで、本に支えを置きながら工夫をして読み進めた思い出があります。
不本意ながら、現役時代に積読された参考文献があります。しかし、それらの本は時が経った今、読む機会があります。先生方が選んだ本は興味深く示唆に富んでいることをしみじみと感じながら読んでいます。
ところで、一橋大学ではシラバスがウェブ上に公開されています。私は本を探している時にシラバスの参考文献を見て購入することがあります。特に自分の専攻とは違う分野の本を探す場合はとても参考になります。
こちらのリンクからどなたでもご覧になれます。中には懐かしい本もあるかもしれませんね。
https://syllabus.cels.hit-u.ac.jp/syllabus/
学生時代の参考図書でお気に入りの本、衝撃を受けた本など、今読むと、また違って見えることが私はあります。より深く読めるようになったといえるでしょうかね。年を重ねるとは素敵だなと思えることの一つです。そして、現役時代に自分が全然わかっていなかったことに気づいて恥ずかしくなったり、当時全然わかっていない私にそれでも丁寧に教えてくださった先生方に、心の中で感謝する日々です。
なんだかまた大学に通いたくなってきました(笑)
(P)
『アンという名の少女』、このタイトルを聞いただけで、往年のファンはぞくぞくすることでしょう(←村岡花子風)。単なるAnnではなく、私はeのついたAnneなのよ、という、アンのアイデンティティを見事に体現したタイトルになっているからです。
いまNHKでシーズン2を放映中ですね。こんな秀逸な作品に出会えて、私はちょっともう、何も思い残すことはないと思えました(博論も出してないのに)。
なんといってもアンの世界をグローバルヒストリーの切り口から大胆に構成し直している点に、目が覚める思いです。アンが”インディアン”や黒人、放浪するユダヤ人と同時代に、隣人として生きていたかもしれなかっただなんて。大学院で勉強し直さなかったら、私にはこの作品の意図が何たるかを理解できなかったと思います。
とりわけ使用人の”フランス人”の男の子の存在理由が分かったことには衝撃でした。アカディア人、ご存知の方いらっしゃいますか?カナダの歴史も本当に興味深いです。
また、グローバルヒストリーといえばフェミニズムの視点です。脱コルセットや、平塚らいてう張りのアンの宣言文なども登場し(本作のアンと、らいていはほぼ同時代)、フェミニズム萌芽の時代の息吹が生き生きと描かれています。が、100年以上前のカナダの話なのに、現代の日本の状況に酷似しているのが恐ろしくもあるところです。
私の密かな願いは、自分の息子が将来、茂木健一郎氏のようにアンの魅力を共有できるオトナに成長してくれることです。たいして本読みが好きでもなさそうなので、望み薄かもですが…
博士課程在籍(L)
読者から、ご自身の経験を寄稿していただきました。私の同期です。鶴田さん、どうもありがとうございます!(N)
――
実は(だいぶ前の話ですが)90年代後半に夫の海外赴任中に修士を始めたのですが、博士をやりたくて帰国後単身留学。長期休暇には帰っていましたが、3年経ったところでさすがに別居が長いと1年休学。そこから復学した直後くらいに(望んでいたことでもあったのですが)妊娠、ようやく臨月くらいに夫に合流してもらうことができました。
行き先はニューヨークで、長くなったので生活面ではあまり困りませんでした。今考えてみるとこの3年の一人暮らしというのは、家庭に気を取られることもなく勉学に専念できたいい期間だったと思います。そのせいかやはり出産後、帰国後家族がおり育児家事もある状態での方がスローダウンしてしまった印象は否めません。
専攻は修士が教育・応用心理学、博士が臨床心理学で始めましたが、最後のフルタイムのインターンシップのためアメリカに戻ってくることが難しいという判断から、認知・社会・発達心理学という専攻に変え、長い時間をかけ修了に漕ぎつけました。2009年の本帰国後は原則遠隔で、2015年末に現地で口頭試問に通りました。ネットで図書館資料なども閲覧できる時代になっていたのが幸いしました。
そもそも妊娠に至ったのが休学後合流した学年(つまり一つ下)に二人新米ママがいた、ということがありました。実習先ではマタハラ的なことがありましたが、大学院では妊娠しているからどうということはなく、特段疑問を抱かずに過ごすことができました。
元々、現地で働きたいと思っていたので、それに比べ現状が期待した通りとは言えないですが、学んだことをダイレクトに仕事に活かしているのは事実です(現在は心理療法士を主にしています)。まだまだ形にしていきたいことは多々あり、これからもモチベーションを保っていけたらと思います。
鶴田 みさ(平3法)
博論執筆中に出産した次男は来週3歳になります。
あ~長いような短いような3年間!
3キロで産まれたベイビーが今や13キロに、最近は口も少し達者になり、わざと兄のことを「アニ~(Annieみたいな発音で)」と呼んで長男から怒られているのを見ると、子どもの成長の早さを感じます。
翻って、私の方は相変わらず日々、あくせくするばかり。博士号取得を機に、少し対外的な調査研究に参加したり、執筆の機会をいただけるのは本当に有り難いなと思います。でも、腰を据えて自分の研究と向き合うのは、実はなかなか難しい・・・。次々と新しい研究手法がうまれ、新しい論文が発表されていくのにアンテナを立てつつ、自分のフィールドを開拓していくのは(好きで飛び込んだ世界ですが!)容易ではないと、今さらながら感じています。
さ~あ、次の1年、目の前のことをがむしゃらにこなすだけでなく、もう一歩先を見据えられるようになったらいいな。子どもたちと一緒に、母ちゃんも成長して行ければと思います。(S)
高校生の息子のリュックを防水のものに買い換えました。豪雨災害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。
7月になり、寄附者の1人として、前年度の実績報告書をもらったので、男女共同参画推進室の許可を得てシェアします。拡大してご覧ください。
昨年度は、皆様のおかげで過去最大の905,122円が集まりました。当事者が切望していた上限額の引き上げも実現しました。その後も大口のご寄附があり、現在、育児支援基金の残額は500万円を超えています。その反面、利用は極度に少なく、それがコロナ禍のためなのか、他の理由があるのか、推進室で鋭意分析中です。
推進室の現場責任者も、4月から新しい人に替わりました。創設から数えると4人目です。前任のMさん(当会3月28日付け投稿参照)の悲願だった、「基金を枯渇させない」という目標は、おかげさまで十分に達成されました。
そこで、当会の活動ペースを少し緩め、当面、投稿は月に1回、月初の週末におこなうことにしました。投稿間隔が開くと、メンバーそれぞれの子供たちの成長ぶりがますます伝わることと思います。どうぞお楽しみに。(N)
今週も本の紹介です!私の所属する社会学研究科地球社会専攻では、「先端課題研究」の授業を元に、このたび『グローバル・スタディーズの挑戦-クリティカルに、ラディカルに』(彩流社)を刊行しました。https://amzn.to/3ojcnbi
地球社会専攻、つまりグローバル・スタディーズとは、時代も地域もディシプリンも横断して、「事象」「現象」「問題」などを中心に研究していく新しい研究の在り方です。本著はグローバル・スタディーズとはどういう学問の場であるかについて書かれた、ほとんど初めての書籍といえそうです。私はそんなこととは知らずに入学しましたが、一橋は世界で初めてグローバル・スタディーズの専攻を設置した学校なんです。
本著は一橋の教授や、一橋と縁のある海外を含めた他大の教授たち、また卒業生や在学生の13人が執筆しています。私は今回の刊行では裏方に回っただけですが、自分の博論に向けてとてもよい刺激を受けました。特に執筆者のうち、若手の先生や先輩たちは、歴史学や人類学など既存のディシプリンからグローバル・スタディーズの道に入ったのではなく(開拓ももちろんすごいことですが)、初めからグローバル・スタディーズを「専攻」した方たちなので、その意味で大変興味深い研究成果です。
みなさんそれぞれ、お子さんがいたり、家族と離れて暮らしたりしながらも、研究に打ち込んでいらっしゃるのを知っているので、その意味でも成果がまた一つ書籍になったのは素晴らしい!と思いました。
博士課程在籍(L)
こんにちは。GWはワンオペ2人男児(9歳&2歳)育児でヘロヘロのSです。長男の数列の問題が意外に難しくて頭を抱えながら (涙)、次男とは牛乳パックで電車のトンネル製作に奮闘し(作っているのはほとんどママよ~)、2人男児のありあまるエネルギーに向き合い疲労困憊。次男のお昼寝時間に手が空いたら勉強しようと思っていたPythonは、結局テキストを開けず・・・。
ところで、先日、恩師の石黒圭先生(国立国語研究所教授・一橋大学大学院 言語社会研究科連携教授)と富士通(株)とのコラボで『ビジネス文書の基礎技術』(ひつじ書房)を出しました。私も研究プロジェクトのメンバーの1人で、分担執筆させていただきました。言語学とAIの研究者が科学的にビジネス文書を解析して、「いい文書」の特徴をまとめた本です。どんな文章から効果的なビジネスコミュニケーションが生まれるのか、実際の文章の修正前・修正後をお見せしながら分かりやすく解説しています。お仕事をされている方、就活中の学生にはもちろんオススメですし、社員研修などでもお役立ていただけるかと思います。ぜひお読みください!
『ビジネス文書の基礎技術』(ひつじ書房)
https://amzn.to/3nVB4dL
実は私自身も学部を卒業後、自動車メーカーの財務部に勤めていましたが、ディスクロージャー資料の作成に関わるうちに、ビジネスよりも言語そのもの方に興味が沸いてしまい道を方向転換。育児をしながら大学院(言社)で研究しました。会社員時代、決裁書が突き返されて悔し涙を流したり、上司からメールを注意された苦い経験を今でもよく思い出します。こんな本で文書作成の勘所を押さえておけば、もう少し仕事のデキル社員になれたかも・・・なんて思っています!(S)
3月の話です。高校進学を控えた息子の机の上は、古いおもちゃに長年占拠されていました。それを一気に片付けて、古い絵本も一緒に、0~2歳で通っていた保育園に寄付しました。
園長先生は当時からずっといらっしゃる、尊敬するプロの保育者です。他に息子を知る保育士さんと調理の方が1人ずつ、まだ在籍していましたが、その日は不在。荷物運びを手伝わせた息子は、当時の記憶がないようで、用が済んだらそそくさと帰ってしまいましたが、園長先生は感無量のご様子でした。そして、現役園児が、お迎えのお母さんを尻目に、運び込んだおもちゃに大興奮! それを見て、息子も何かを受け取った様子でした。
おもちゃや絵本の片付けに困っている親御さんは、通っていた保育園に連絡をとってみるといいかもしれません。保育園にとっては消耗品で、遅くまで残る子のために、いつも何か新しいものが必要なのだそうです。(N)
こんにちは!カンボジアの首都でロックダウン中のPです。街が静かで読書が進むのですが、家族からはブーイングが。なぜか?それは読みすぎだということです笑 もっと家族との時間をということで、なんと子どもが緊急家族会議を開きました! Stay Homeしてるからって家族と時間を過ごしているわけではないということを指摘されたようです笑
子どもはまず、私が24時間をどう使っているかを現状把握し、睡眠時間、仕事の時間、そして残りの時間それぞれで何時間使っているかを書き出しました。すると仕事に10時間使っていると言われました。えー?そんなに?もちろん勉強時間も仕事に含まれています。夫に助けを求めましたが、これでもマシな方だと助け舟は出されませんでした笑
次に子どもは仕事のしすぎでもたらされる弊害をかき並べました。運動不足も項目に入っていて耳が痛い!仕事のしすぎは精神的にも良くないと笑 なぜ仕事をしすぎるのかの要因も語っていました。そこには上司の仕事のさせ方というものもありました笑
最後に解決策。子どもは仕事の中身を細分化し、収入の高いものに対してより時間を注げば、経済的成功もやりがいも両方とも達成可能でWin-Winだと書き下ろしました笑
グゥの音も出ない論理的なアドバイス。そして、アクションプランとしては、仕事時間は8時間までとし、時間帯も2つに分け、その他の時間を家族と過ごす時間としました。これで家族全員がハッピーになると子どもは結論づけました。
今年9才になりました。大学院入学の時はお腹の中。そして今は、ワークライフバランスのアドバイスをするまでに。人間ってすごいと思った瞬間です。
そんな人間である私自身も、何かの壁にめげることなく志高く、目標を持って生きていきたいと思い直しました。
子育てと大学院両立の渦中では、そういう志もどこか弱々しくありましたが、退学の危機を乗り越えてなんとか大学院を卒業し、今も人として成長し続けることで、まだまだ行けそうな気がしているカンボジアでロックダウン中のPでした!
(P)
今年度はキャンパスに人がいっぱいで、なんだか非常に懐かしい光景です。とはいえ、オンライン授業もあるので、コロナ前の頃より登校する学生数はずっと少ないんだと思います。
さて、私の指導教授のもとでは、もう新しい学生は博士課程に進めなくなっています。教授の定年により、最後まで指導ができないためです。国立大は定年が早いです!
ということで、修士の学生はゼミに入ってきてくれるものの、博士の学生は出ていくばかりです。若い先輩たちが新たな道へ進んでいくことは本当に喜ばしいことなのですが、最後の博士課程生として残る者にとっては、正直とてもさみしいです。
博論執筆中は孤独だという話をよく聞きますが、そんな時に学友の存在は大きいとみなさん口をそろえます。あと数人博士課程の仲間がいるので、励ましあって頑張っていきたいと思います。
博士課程在籍(L)
3月31日は大学人にとっての大晦日で、4月1日は元日です。マスクと手洗いと換気と距離を課せられたまま、2度目のその日が近づいてきました。
男女共同参画推進室で育児支援基金の執行を担当してきたMさんが、年度末で退職されます。そこで、Mさんにお世話になった世代をつなぐ会メンバー3名が、あいさつに行ってきました。
Mさんによると、2020年度は初年度を除く過去最高クラスの寄附金が集まった反面、コロナ禍のために支出はほとんどなかったそうです。そこで、来年度はより使いやすい支援制度になるよう、改善の提案をまとめている、とのことでした。
Mさんが寄附金の枯渇が心配したことから、世代をつなぐ会が生まれました。2018年12月から現在まで活動を続けられたのも、育児の面でメンバーを支えてくれたMさんのおかげです。どうもありがとうございました。お元気で。(N)
アレルギー持ちには、なんとも辛いこの時期。我が家2人の男児も、小児科、眼科、皮膚科・・・フルコースで(!)お世話になっています。
先日、ひょんなことから、かかりつけ医とは違う医院に2歳の次男を連れて行きました。ベテランのドクターでしたが、聴診器をあてている時もずっと息子の顔をよ~く見ながら、まだ言葉もおぼつかない息子と1対1のコミュニケーションを十分にとって診察してくれているのが分かりました。さすが!!!最近は医療機関も電子化が進んでいるので、別の医院の話ですが、医師もPCを見たり、入力している時間が長くて、実際に息子の身体や様子をみる時間は一瞬だな・・・と感じてしまったこともありました。あ~このドクターは、全然違う、息子と正面から向き合ってくれているんだなと感じて、私もすっかりファンになりました。
ひるがえって、今期、私自身も初めてオンラインで授業を担当しました。学生1人1人と目を合わせるよりも、自分の手元のPC操作の時間の方が長かったかな・・・そんな反省もあります。まだ、しばらくはオンライン授業も継続のようですが、スクリーン越しにどれだけ心の通った授業ができるか・・・教師力アップにも励んでいかねばと改めて思いました。(S)
昨年11月20日に、オンラインイベント「既卒女性の大学院進学とライフイベント」をおこないました(コメント1↓にリンクがあります)。内容は、ジャーナリスト治部れんげさん(平9法平30修商)の基調講演と、世代をつなぐ会メンバーの座談会でした。12月20日まで録画を販売しました。
JWLIA(コメント2↓にリンクがあります)から助成金9万円を得たことがイベントのきっかけで、このお金が元手となりました。皆様からのチケット代(約12万円)とご寄附(67,000円)のおかげで、元手を少しだけ超える90,122円(上記ご寄附+イベント残金23,122円)を、窓口である男女共同参画推進室に、一橋大学後援会育児支援基金への寄附として渡すことができました!
ご住所を教えてくださった5名(合計26,000円)の方々には、写真と同じお礼状がそれぞれ届いていることと思います。確定申告期限ギリギリになってしまい、申し訳ありません。
そして、それ以外の方々9名からのご寄附(合計41,000円)とイベント残金寄附については、それぞれ、世代をつなぐ会がお礼状を代わりに受け取りました(コメント3↓に金額の入った寄附金領収書の写真があります)。
皆様の温かいお志に感謝します。次のイベントはいつになるかわかりませんが、またよろしくお願いします。(N)
先日、オンラインで臨時のゼミが開かれ、論文博士の方の発表がありました。この日はたまたま発表者も参加者も、みな女性ばかり十数人が集まりました。時節柄、ならぬ時世柄、先生は参加の面々を見て、わたしたち女性のがんばりを激励してくださいました。
ちなみに「論文博士」とは、在学していないけれども博論の審査を受ける予定の人のことです。在学中に博士論文を出す人のことは「課程博士」といいます。
当ゼミでは博士課程の単位修了生で、しばらく仕事をしていたけれども、やっぱり論文を出そうと決心する女性の先輩たちがたくさんいます。たぶん年齢は私と同じくらいです。みなさんフルタイムで仕事をしてますし(ほとんどが大学教員ではない仕事ながら、専門性を活かしてます)、子育てしてる方もいます。こんな人生のケースもあるんだ!と、その多様性に勇気づけられました。
博士課程在籍(L)
先日、オンラインで臨時のゼミが開かれ、論文博士の方の発表がありました。この日はたまたま発表者も参加者も、みな女性ばかり十数人が集まりました。時節柄、ならぬ時世柄、先生は参加の面々を見て、わたしたち女性のがんばりを激励してくださいました。
ちなみに「論文博士」とは、在学していないけれども博論の審査を受ける予定の人のことです。在学中に博士論文を出す人のことは「課程博士」といいます。
当ゼミでは博士課程の単位修了生で、しばらく仕事をしていたけれども、やっぱり論文を出そうと決心する女性の先輩たちがたくさんいます。たぶん年齢は私と同じくらいです。みなさんフルタイムで仕事をしてますし(ほとんどが大学教員ではない仕事ながら、専門性を活かしてます)、子育てしてる方もいます。こんな人生のケースもあるんだ!と、その多様性に勇気づけられました。
博士課程在籍(L)
いつものように夜9時過ぎに2歳の次男を寝かしつけて一緒に寝落ち・・・しましたが、地震で目が覚めました。次男は寝たまま問題なし。揺れが少しおさまってきたところで、隣りの部屋の長男を見に行き、無事を確認。
実は、昨年から夫は海外赴任で、私は二人男児(9歳&2歳)のワンオペ中。いざとなったら私が二人をみなければならない・・・こんな時、ワンオペはやはり緊張感があります。
それでも家族が無事と分かると、すぐに頭に浮かんだのは、今期私が日本語授業を担当した一橋ICSの留学生たちの顔。来日してホテルでの隔離期間が終わり、やっと寮に引越したばかりの学生もいます。きっと怖い思いをしたでしょう。大丈夫かな・・・。週明けに期末テストの講評を出すので、少し様子が分かるかもしれません。
明け方になってクローゼットの奥にしまっている備蓄グッズを確認しました。水や食品の賞味期限もチェック。次男のオムツの予備がありませんでした。1パックは用意しておかなければいけない・・・。
みなさま、地震は大丈夫でしたでしょうか。震源に近いところでは、けがをされた方や避難をされている方がいるのをニュースで見て、心を痛めています。心からお見舞い申し上げます。そしてどうか被害が最小限になるように祈っております。(S)
最近、演奏動画をYouTubeに公開し始めました。ギター歴は長いのですが、熱心な時期とそうでない時期の差が激しく、今は自分の中で第何次かのギターブームが来ています。その最大の理由は、子育てが一段落したことです。
学生数と担当授業数の多い前任校で子持ちになった16年前、当時住んでいた家のどこにギターや楽譜を置いていたかさえ、よく覚えていません。しかし、11年前から、大学ギター部の若い後輩が毎年9月に卒業生コンサートを開くようになり、それと11月の一橋祭にだけは出るようになりました。ほぼ夏と秋しか練習しなくても(特に冬は思い切って完全オフにしてしまう)、独奏出演が可能だったのは、もともと大曲や難曲をレパートリーに持たなかったからでしょう。そして3年前、古い知人からギター四重奏団の欠員を埋めてほしいと頼まれたのが、ブーム再燃の直接のきっかけになりました。
子育てはいずれ終わります。仕事もいつか辞める日が来ます。その後に来る長い日々を、あまりお金を使わず機嫌よく生きていくために、趣味は大事だなあ、と思います。
今は趣味どころじゃないよ、という人も、その趣味の観客やファンを続ける、専門雑誌を手に取ってみる、インターネットで同好の士とつながるなどの方法で、細く長く、興味関心を持続させることはできるような気がします。コロナ後はオンライン教室やオンラインコンサート、ウェブ展覧会なども充実しました。
皆さんの趣味は何ですか?(N)
今年度の講義日程が終わり、事実上の春休みに突入しました。
例年はこの期間にフィールドワークに行ったり留学したりする学生が多いのですが、今年はみなできる範囲に変更しています。
私もコツコツ文献調査と書いていくことに挑戦中ですが、大学院に入って3年目、なかなか直らないのが、論文につい自分を登場させてしまうことです。
やりがちなパターンとして、たとえば言語政策についてであれば、「少数言語は守らなければならない」という前提を自分で置いてしまうことです。
この場合、言語保護の是非の判断を最初にするのは書き手ではなく、あくまでも、言語を伝承しようとしている人びとを観察したり、制度を調べ上げたりするのが役割です。
私の指導教授の格言は「事実に語らせる」こと。
事実を並べ、他の研究者の分析を引用し、自分は黒子に徹することが必要です。
最後に、それまでに列挙した事実から自然に引き出せるものを、結論として提示することになります。
もちろん資料の選択に自分の意見が入るのですが、あくまでも「語らせる」わけです。
これがすごく難しい!
思えば、高校までは感想文のように自分の意見を書く練習ばかりで、研究論文を書くテクニックを学ぶ機会はありませんでした。
それが大学に入ると、とつぜん論文の書けることが前提になっていました!(あたりまえ?)
20年後に復学してそのことに気づき、私の学部時代の学びはなんだったんだと自分に呆れる今日この頃です。
先週の大学入学共通テストの問題を見ると、大学で学ぶような問いの形式になっているようでした。
時代は変わったなあとしみじみです。
博士課程在籍(L)